SublimeなLife日記

少しでも素晴らしい生活をおくるために、日々、気になったことを。

馴染みの定食屋が閉店した

馴染みの定食屋が閉店していた。

10日ほど前に閉めたとの旨が、いままで何度も開けた入口の引き戸の張り紙に書いてあった。

会社から歩いて2,3分ほどの、マスターとお母さんの2人で営む食堂。10年位前までは、かならず街のどこかにあったような、この古い定食屋に、いつ頃から通いはじめたのか、今はもうはっきりとは思い出せないが、少なくとも5,6年以上は通っていたことは間違いない。

 結婚して子どもができて、とステップを踏むにつれ、次第に会社には弁当を持っていくようになったから、最近は食べに行く間隔もすっかり空いてしまっていた。それでも、年末やお盆前、季節の変わり目や長い連休の前には、必ずあいさつ代わりに顔を出すようにしていた。

独身時代は、それこそ毎日のように通って、読み回しでくたびれたスポーツ新聞を片手に、カウンターに陣取って、飯を頬張っていた。

入口の暖簾をくぐると、テーブル席が4つ。奥にカウンターがあって、マスターのまわすフライパンを眺めながら、お母さんと2,3言葉をかわす。

味はけっして特別に美味しいというわけではないかもしれない。しかしながら、これぞ職人という寡黙なマスターの仕事と、お母さんの人柄が、何よりの売りだった。

私などは実際の年よりも若く見え、痩せているものだから、きちんと食べているのか心配だったのか、毎度まいど揚げ物などのおかずをおまけしてくれたり、しまってあった菓子をつけてくれたり、びっくりするようなお土産を持たせてくれたことも2度や3度じゃなかった。

驚いたのは、フランスパンを1本くれたことや、コーヒー豆を1パックくれたこと。自分で食べるためじゃなかったのだろうか、と今でも思い出す。
叶匠壽庵の「あも」は、ここでもらったものを食べたのが、はじめてだった。
あんまり美味しかったので、嫁方のお中元にと探すと、季節の高島屋限定だとわかった。よくも気前よく、1本まるごとくれたものだなぁ、と夏になると毎年思い出す。

私はこういう個人店が昔から好きだ。もちろん、おまけをしてくれるからではない。
作り手の顔が見えるからだ。だから、かならず空いている時間に行って、距離の近いカウンターに座る。

こういう店は、鍋をふるマスターの、店を切り盛りするお母さんの、それこそ人柄が味に出る。これこそ最高の調味料だと思う。

何度も開けた、あの店の引き戸は、もう開くことはなくなってしまった。

せめて最後に、一言でいいからきちんとお礼が言いたかったと思う。

ごちそうさまでした。